その過酷な登山動画です。
役の行者(役行者 えんのぎょうじゃ)とは、wikiによると、役小角(えんのおづの634〜701)という呪術者で、修験道の開祖と言われる。後の平安時代に山岳信仰の隆盛と共に、役行者と呼ばれるようになったそうです。
役の行者へは、2つのルート。どちらも、ループを組めるので、車DE登山の人でも、ピストンしない山行が楽しめます。年を取ると、ピストンにこだわらなくなるんですねぇ…って、なんのこっちゃ?(^o^;) 傘杉峠に駐車すると、右回り/左回りのルートが選べます。役の行者へ先に行き、その後。山歩きを楽しむのであれば、右方向へ。山歩きを楽しんで、役の行者へ行くなら、左方向へ。どちらが楽かと聞かれれば、どちらも過酷です…(^o^;) 展望0の鬱蒼とした樹林帯を、ひたすら歩きますので、精神的にも過酷です。正に、行者の気分です。 また、黒山三滝駐車場に駐車して、ピストンも可能です。どちらのコースでも、車→役の行者→車は、1時間程度です。参考までに、傘杉峠から左方向のルートの場合、私の足で、54分でした。(休憩時間を除く) この石像は、山本坊栄円(やまもとぼうえいえん)さんとのことです。ネットで調べてみると、埼玉県のサイトに、詳細がありました。以下抜粋 室町時代の修験者。出生年は不明。没年は応永20年(1413)。 ※応永は、1394年〜1427年 応永5年(1398)に熊野神社を開く。 関東の熊野霊場として、修験道場「越生山本坊」を整備。 本山派修験二十七先達の一つに、数えられている。 600年前のローカルなことなので、断片的な情報しかありませんでしたが、偉大なお方だった…ということです。 上の尊像は、元治2年(1865)の建立だそうで、その3年後には、「いやぁ、ロッパさん明治だよ(明治維新年の覚え方でした)」になったんですね。更に、平成18年末(2006)、何者かによって、首チョンパされたそうです。とんでもないDQNがいるんですね。そいつこそ、市中引き回しの上、打ち首獄門にするべきです…(^o^;) |