旧陸軍 調布飛行場の掩体壕(えんたいごう)@東京都府中市・三鷹市 2019年5月
(府中)コインパーキング→   (三鷹)野川公園駐車場→

東京都府中市・調布市・三鷹市に跨る調布飛行場。今は、伊豆諸島への玄関口となっていますが、その昔は、帝都防衛の要の飛行場でした。

府中市と三鷹市に残る掩体壕の動画です。


まずは、府中市にある掩体壕から。今回は、コインパーキングに駐車して、徒歩で向かいました。


府中市が、公園として整備しています。画像をクリック(タップ)すると、説明画像が出ます。


この近くに、もう一つの掩体壕があるのですが、民家の中にあるため、画像だけ。


3つ目の掩体壕は、現調布飛行場を挟んだ向かいの“武蔵野の森公園”内にあります。


こちらは、補修されることなく、当時のままの状態で、展示されています。画像クリック(タップ)で、説明画像。


同じ公園内に、もう一つの掩体壕があります。こちらは、封鎖されていて、中は見えません。画像クリック(タップ)で、説明画像。

いずれも、現在では、展示物になっていますが、当時は、国防のための施設でした。このような施設が、増設・新設されない未来になってもらいたい。 

隣の芝生は、青く見えるかも知れませんが、それを欲することなく、茶色の芝生でも、その条件の中で、質素に・欲をかかず・心が満足するような生活を行えば、戦争は起きないはずです。大陸の方々には、理解できないかもしれませんが…。

戦争を起こして、喜ぶのは、一部の強欲な権力者だけです。大多数の人々は、傷を負い、悲しむのです。それに、限りある地下資源を、浪費してしまいます。子孫のためにも、大切に使い、残してあげるのが、先祖としての役目だと思うのは、私だけでしょうか?

   

館山海軍航空隊・掩体壕(えんたいごう)@千葉県館山市 2021年3月 駐車場→

館山海軍航空隊は、海軍5番目の航空隊(昭和20(1945)年の終戦の時には、54の海軍航空隊があった)として、昭和5(1930)年にできました。………  昭和14(1939)年の記録によると、館山海軍航空隊には、97式艦上攻撃機を中心に124機の飛行機がありました。この時の、館山海軍航空隊の役割は、中国で行われていた戦争に飛行機を送ることでした。……… この「掩体壕」は、アメリカ軍の飛行機に爆弾を落とされても飛行機を守ることができるよう、全体が分厚いコンクリートで固められています。館山海軍航空隊と洲ノ埼海軍航空隊の周辺には40以上の掩体壕がつくられました………以上、館山市サイトhttps://www.city.tateyama.chiba.jp/syougaigaku/page002643.htmlより抜粋。

その動画です。