記念碑の動画です。
2010年5月 日本初の帝王切開が行われた地@埼玉・飯能市♪ 〜江戸時代の末、日本で初めて行われた、帝王切開による出産の記念碑がありました〜
1852年(嘉永5年)6月12日(旧暦4月25日)ここ本橋家で、我が国最初の帝王切開術が行われた。 難産に苦しむ本橋みと(1820−1908)の生命を救うため、秩父郡大宮郷(現秩父市)の伊古田純道と秩父郡我野郷南川村(現飯能市)の岡部均平とが、親族への説明と承諾の下に、子宮切開術を実施して胎児を出し、産婦も手術によく耐えて、満88歳の長寿を全うした。 鎖国下、オランダ産科書の翻訳を頼りに、日本で初めての開腹術。しかも致命率の高かった帝王切開術を、麻酔なしに成しに遂げたことは、正に奇跡的成功であった。 その後 1879年(明治12年)まで27年間、本邦でこの手術が行われた記録はない。 伊古田純道の「子宮截開術実記」の結びには、西洋医術の成果に対する感動と確信が述べられている。 術後135年を経過した今日、本橋家の地内に記念碑を建てて、その偉業をたたえる。 究極の人体実験だったんですなぁ…(@_@) 無麻酔で、腹を切る…考えただけでも、血の気が引いてしまいますが、切る時は、陣痛の苦しみがあるので、多少は、痛みが誤魔化されても、その後の傷の痛みは、強烈だったと思います。今のような鎮痛剤の無い時代、「多分効くだろう」程度の漢方薬を飲むのが、関の山だったと思います。 ましてや、滅菌された部屋や器具ではなく、普通の家で行われたのですから、感染症で命を落とすのが、必然のような状況…。下腹部の激痛・発熱・傷口の化膿…その経過は、想像を絶するものだったと…(/--)/ 江戸末期ですから、スーパーマーケットがあるわけなく、内陸の飯能での日々の食事は、自分達で作った野菜と、脇を流れる高麗川で捕った川魚程度だったでしょう。勿論、常時、鱈腹食べられる程の量は、無かったと思います。 現代よりも、遙かに栄養状態の悪い食生活で、開腹されても、88歳まで生きた方が、超人的な身体だったのか、それとも、当時の人々総てが、強靱な肉体を持っていたのか…(。_゜)? そう考えると、除菌・抗菌だ、肉だ、サプリだ…と騒いでいる現代人が、弱すぎるのかも知れません。ちなみに、私は、準菜食主義なので、基本は野菜だけ。畜肉は食べません…たまに、魚をちょっとだけ♪(^o^;) でも、病気もしないで、このサイトのネタのために、歩き回っています…(^o^)v ってことは、無麻酔で、帝王切開に耐えられるかぁ…あっ\(◎o◎)/! 余談で、余計なお世話ですが、当時のメス?(刃物)と縫合では、傷口は、相当大きく、グロテスクな仕上がりになったと思います。その傷口を見て、夫は、その後、夜の営みが、出来たのでしょうか? 20年程前、当時、結構“好き者”だった先輩の奥さんが、帝王切開で出産。超未熟児で生まれた子供は、数日で、亡くなってしまいましたが、その先輩曰く、「お腹の傷を見ると、萎えてしまう…」と言っていました…(-o-#)
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