都道204号・日原街道の謎のつり橋@奥多摩町
白妙橋バス停→

以前から気になっていた日原街道沿いの緑色のつり橋の対岸を、探索しました。その驚愕の結末は…

驚きの?動画です。

日原街道を走っていると、目にする吊橋があります。その名は、白妙橋。バス停の待避所があるので、記念写真を撮っている方も多いです。しかし、その先は、どうなっているのか、気になる年頃のオヤジは、とうとう踏破してしまいました…(^o^;)

当初は、鉱山施設への道か、山奥の集落の生活道路の名残かと思っていましたが、飛んでもイスタンブールでした…(゚゚;)エエッ その真実とは、狩倉山を経由して、六ツ石山へ至る登山道…(^o^;) 奥多摩町独自のルートのようで、山と高原地図には、記載されていないルートです。勿論、地形図やマピオンにも表記なし。それじゃ、わからないっちゅーの。奥多摩町のガイドには、記載されているらしいです。

登山道は、奥多摩町道に突き当たります。町道といっても、階段町道です。車の通行は出来ません。日原街道が出来る前は、その道が、唯一の生活道路でした。そこで出会った住民のお爺さん。生まれて80年、この地で生活している方でした。姿勢も口調も、しっかりしていて、顔の皺さえ無ければ、60歳に見えるほどの元気なお爺さんでした。家の片付けをされていたようですが、手を止めて下さり、話し込むこと30分。戦中戦後の奥多摩の歴史が、出るわ出るわ…(^o^;)

買い物は、背負子を背負って、氷川(現在の奥多摩駅)まで行ったそうです。「牛や馬は使わなかったのですか?」と聞くと、「終わりの頃は、牛車を使ったな」と。「牛にも、過酷な道ですよね?」と聞けば、「たまに、川に落ちたんだよ」と。「落ちたら、どうしようもないですよねぇ」と言うと 「(某国人が)それを解体して、食ってたよ。」と…(゚゚;)エエッ

私の親と同世代ですが、なんか、自分の親を見ているようで、今度、菓子折りを持って、もっと話を聞きに行っちゃおうかな…(^o^;) そのお爺さんに、この上に、伽藍神社(がらんじんじゃ)があり、結構行く人がいる…との話を聞き、行ってみましたが…(゚゚;)エエッ 持参の登山地図には、表記が無いので、方角だけで行きましたが、にわか雨にも遭遇し、大変でした…(^o^;)

奥多摩には、まだまだ知らないところが多いです。(^o^)v

   

一般観光客では行けません!幻と化した日原の名所@奥多摩町

以前から気になっていた日原林道の名所を、探索しました。お役所も放置プレイの名所は、観光客の侵入を拒んでいるようです。

その動画です。