冬の廃村の記録・峰集落@東京都奥多摩町
 2016年2月  町営鳩ノ巣駐車場→

3年振りに、峰集落へ。今回は、真冬の集落の暮らしを想像したくて、この季節に…。ただ、暖冬でして…(^o^;)




動画最終回です。



動画前編からの連続再生です。



廃村の記録・峰集落@東京都奥多摩町
 2013年5月  町営鳩ノ巣駐車場→

駅から歩いていける廃村。しかし、そこには、予想外の光景が…(゚゚;)エエッ




その動画です。



集落に繋がる道は、幅1mにも満たない山道のみで、車道なし。高度経済成長期を経て、世界屈指の大都市となった東京の中で、陸の孤島と化していた峰集落。地図上からは、抹消され、唯一地形図上の描線だけが、峰集落があったことを語っています。

1899年(明治32年)若き日(24歳位)の民俗学者・柳田國男さんが、当時の古里村長・福島文長宅に滞在したと言われています。この福島家の祖先が、今から500年以上前に、峰に集落を築いたとされています。

元々、この集落は、林業と炭焼で、生計を立てていましたが、1657年(明暦3年)の振袖火事と呼ばれる江戸の大火により、江戸の町の半分が消失。その復興のために、この地の木材を供給したことから、以後、林業で栄えることになりました。

しかし、第二次大戦後、安い輸入材に押され、国内の林業が衰退する波に飲まれてしまい、1972年(昭和47年)最後の住民・福島儀左衞門さんが、離村したことで、15世紀から続いた歴史に、終止符が打たれたそうです。

仮に現在、集落があったとしても、その生活は、かなり過酷だと思われます。2013年現在、峰集落の手前数百メートルまで、林道西川線が開通していますが、そこから集落までは、以前の山道のまま。しかも、急峻な山に付けられた全線ダートの林道ですから、落石・崩落は日常的です。

運転の出来ない人は、急傾斜のガレた登山道を歩かなければなりません。駅やちょっとした店のある隣の集落(棚沢)まで、山道慣れしている私の足でも、ノンストップで40分程掛りました。勿論、その反対のルートは、急な上り坂になりますから、更に時間が掛かります。タクシーを呼ぶにも、それなりの料金が発生しますし、ダート林道を走ってくれるかどうかは?

火災が発生しても、消防車は辿り着けません。けが人や病人が出たら、山岳救助隊でないと、辿り着けない場所なのです。電気は、昭和30年代に通じていますので、テレビやラジオの情報を見聞きするにつれ、山を下りたくなるのは、無理もありません。

参考書籍 封印された日本の村 歴史ミステリー研究会編

TPP問題が、話題になっている現在、自給できる物に対しては、Made in Japan復権を願わずにはいられない私です。浜田省吾さんの名曲・J.Boyの歌詞…

♪頼りなく豊かなこの国に 何を賭け何を夢見よう♪

そう、上辺だけの豊かさは、一瞬で崩れます。消費する物資の過半数を、外国に依存している国に、恒久的な繁栄など、ある訳無いのです。外国に、「NO!」と言われたら、万事休す。「石油は売りません」と言われれば、日本はフリーズ。原爆なんか落とさなくても、“食”民地は、輸入食材に毒を入れられれば、ハイそれまでヨ。再生可能エネルギーを掲げた所で、特定業種の経営に影響するので、本腰を入れられない。みんな、人間が勝手に作った価値・お金を基準に考えているのです。物資がなかったら、お金なんて、糞の役にもたちません。阪神淡路大震災・東日本大震災で、それを痛感された方も、多いと思います。

峰集落跡を見て、そんな気持ちが、更に強くなりました…。

貴重な輸入資源で作られた車ですから、大事に長く乗ります。ごめんね車屋さん。貴重な輸入燃料で走っているので、なるべく走行距離を短くして、自分の脚で距離を稼ぎます。ごめんね石油屋さん。飽食の時代ですが、野菜中心の粗食で、生きていきます。ごめんね商社さん。廃村を見ると、文明にどっぷり使った体たらくな自分が、情けなく感じてきます…。そう思うのは、私だけでしょうか?