2012年9月 八高線列車正面衝突事故現場@東京都昭島市

太平洋戦争終戦からわずか九日目の昭和二○年(一九四五)八月二四日午前七時四○分頃、ここ八高線小宮・拝島間の多摩川鉄橋上において、上り下りの旅客列車が正面衝突し、少なくとも一○五名の方々が衝突による衝撃、あるいは多摩川の濁流に流され死亡する大惨事が発生しました。日本鉄道史上でも有数の重大事故であるといわれています。救助には、地域の警防団(現在の消防団の前身)消防団や住民があたりました。
この事故は、折からの豪雨の中で発生したもので、犠牲者の多くは終戦とともに故郷に向かっていた復員兵や疎開先から自宅に帰る人々でした。
鉄橋付近から発見された二対の車輪は衝突車両のものと思われ、事故を後世に伝えるため設置しました。
平成十六年三月
昭島市・昭島市教育委員会

実際は、もっと多くの方々が、犠牲になられたようですが、終戦直後の混乱期の中での事故のため、曖昧な数字になるのも、仕方が無いですね…。JR福知山線の事故が、記憶に新しいところですが、何時の時代でも、事故の話を聞くと、いたたまれない気持ちになります。

現代なら、慰霊碑が建てられるでしょうが、時代が時代で、しかも、当時は、国鉄でしたから…。この車輪が、唯一の歴史の証人になっています。

現場周辺は、くじら運動公園として整備され、多くの方々が汗を流し、事故現場の鉄橋上を、ステンレス車体の通勤電車が、何事も無かったかのように、通りすぎて行きます。

どんなに時代が流れ、技術が進歩しても、人間の行うことには、「絶対」「完全」は有り得ません。

犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします…合掌